1997年11月
5人の母親と「アメラジアンの教育権を考える会」(以下「考える会」)を結成。
アメラジアンの母親として、行政に学齢期のアメラジアンの就学実態調査、公立インターナショナル・スクールの設立、公的援助等の教育権を要請する。
1998年6月
宜野湾市内の民間教育施設「アメラジアン・スクール・イン・オキナワ」(以下「スクール」)を開校させる。
県所有の建物一室を借り、無認可のフリースクールとしてスタート。
同年8月、宜野湾市大山の民家へ移転。
1998年6月
学籍回復の運動をスタートする。
1999年1月
宜野湾市が市内の児童8人について、学籍回復を回答。
1999年2月
県議会議長に学籍の回復を前提に「スクール」卒業の子どもの義務教育資格認定、公的な援助など6項目を要請する。
1999年3月
当時の有馬朗人文相に「国際児の実質的保障」を要請。
1999年5月
県教育長が「考える会」から受けた公開質問状に回答、条件付きで民間施設でも義務教育を修了できる可能性を示唆する。認可の決定権は地元教育委員会に一任されることとなる。
1999年9月
宜野湾市が「スクール」を県内初の民間教育施設と認め、公立校の「出席扱い」とする方針を決定。
同年9月沖縄市、翌年3月浦添市も同様の方針を決定。
2000年3月16日
東門リッキーくんが初めて、沖縄市立美里中学校の卒業認定を受ける。
2000年3月26日
沖縄サミットを控え来沖した故・小渕恵三首相に「スクール」に対する公的支援や、学校として認可されるように教育制度の見直しを要請。
2000年4月
宜野湾市長が内閣の沖縄問題担当室長を訪問し、国と、公的支援の協議を開始。
2000年7月
東京弁護士会が「スクール」に通学する児童が義務教育を無償で受ける権利を侵害されるなど「重大な人権侵害がある」として国や県に改善勧告。
2000年12月2日
公的支援によって校舎が設備されることが確定する。
2001年2月
韓国のアメラジアン・クリスチャン・アカデミーの校長が沖縄訪問。
県と国が支援策を決定。国などの補助で宜野湾市志真志に建設する「市人材育成交流センター」への移転
4月から県による日本語教師派遣が決まる。
セイヤー研くんが初めて公立高校の一般入学試験に合格。
2001年5月
韓国のアメラジアン・クリスチャン・アカデミーを訪問。
2002年8月
大阪でアメラジアン・フレンドシップ・キャンプ開催。
2003年4月
宜野湾市志真志の新校舎に移転。
2003年6月
創立5周年を迎える。
校歌完成。
2006年4月
アメラジアンスクールの生徒が、公立高校の授業に出席していないという理由で、ある公立高校で低い成績評価をつけられていた問題が発覚。スクールが公立高校に要請し、次年度から善処された。
2007年12月
第1回AASOフェスティバル(学習発表会)開催。
2008年6月
創立10年目を迎える。